日本史好きのブログ

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【陳和卿と建築様式】日本の和様と大陸の大仏様が東大寺で出会った!禅宗様の導入についても解説

 

陳和卿の東大寺再建協力と、新しい建築様式の導入

 

日本でいう平安時代末期当時、宋国はアジア随一の文明国でした。

陳和卿らの建築技術者は、東大寺を再建すべく宋国から来日。日本に優れた技術や知識をもたらします。

その代表的な技術及び建築様式が大仏様(天竺様)でした。大仏様は、北宋(現在の中国福建省)の建築様式の色彩を色濃く受け継いでいます。

陳和卿は東大寺大勧進職(東大寺の再建プロジェクトのリーダー)・重源と共に東大寺に新しい建築様式を取り入れました。

それまでの日本では和様建築が主流です。では実際に、和様と大仏様がどう違うのか見ていきましょう。

 

 

和様(日本独自かと思いきや、唐代に大陸から導入された建築様式なんです)

 

  • 基壇上に建築される。
  • 貫を用いない。
  • 長押(なげし)で軸部を固める。
  • 窓は連子窓。
  • 垂木は平行であり、木鼻(きばな)などに彫刻などの装飾はない。
  • 日本住宅の原型である「書院造」にその特徴を残す。

和様建築の代表である平等院鳳凰堂。出典:Wikipedia



 

大仏様浙江省江蘇省あたりで行われていた。

 

  • 貫や太い虹梁を多用する。
  • 木鼻には彫刻など細部装飾を用いる。
  • 挿肘木(柱の側面に)を採用している。
  • 天井は化粧屋根裏(平らな天井ではなく、屋根裏の構成を室内に見せた構成)を用いる。
  • 現存遺構は東大寺の南大門及び小野の浄土寺浄土堂のみ。

東大寺の南大門。陳和卿が関わった。



 

 

東大寺から陳和卿が追放!禅宗様が栄西によって伝来した!?

 

 

平安末期から鎌倉時代初期にかけて、寺院の建築様式は大きく変革。陳和卿らのもたらした建築技術は、次の世代へと受け継がれていきます。

元久31206)年、陳和卿は東大寺工匠らとの対立が発端となって追放されました。同年には重源が病没してしまいます。

 

程なくして、宋国に留学していた栄西東大寺大勧進職に就任。東大寺再建を担っていくこととなります。

栄西こそが和様、大仏様に次いで、日本に新たな建築様式「禅宗様」をもたらした人物でした。

以下、禅宗様の簡単に特徴を見てみましょう。

 

 

禅宗様(日本人に好まれた新しい建築様式です)

 

・礎石の上に礎盤、さらに円柱を置く。

・大仏様と同様に貫を用いる。

・長押は一切用いない。

・木鼻には詳細な装飾を施す。

・床は張らずに土間で

・天井は中央が鏡天井であり、それ以外は化粧屋根裏とする。

・出入口や窓には、花頭窓や花頭縁を用いる。

・最古の例として善福院釈迦堂が知られている。

 

禅宗様建築の善福寺釈迦堂。出典:Wikipedia



 

 

 

 

○参考サイト