2022-01-01から1年間の記事一覧
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていて、佐竹義政ってどんな人だったの?と思われた方もいらっしゃるかと思います。 戦国時代とかの佐竹氏ならともかく、源平合戦の頃となると興味はあっても知らない武将も多数登場しますよね。 この記事では、佐竹義政の生…
「大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に出てきた、(源)義円ってどんな人だったの?」と疑問に思いません? 私も源平合戦を勉強するまでは、あまり知らない人物でした。絵本の牛若丸に出てくる兄弟の一人、という認識しかありませんでした。 この記事では、義円の…
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』には、劇中で颯爽とした武士が大勢登場してきますよね。 魅力的な人物が多いですが、多すぎて覚えきれない。あるいは「誰?」と思うこともしばしばあります。 今日取り上げるのは、大内(大内裏)守護であった源頼茂(みなもとの…
鎌倉殿の13人もいよいよ佳境! 京方に藤原秀康が登場してきました。一体どのような人物だったのか? 少しピンときませんよね。 そこで本記事では藤原秀康の系図と人生、承久の乱との関わりをまとめてみました。 この記事を読めば、藤原秀康に関することを幅…
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場するコマ若丸。元服して三浦光村となった彼の後半生と、その妻に関する記事です。 専門家の記事及び基本的なサイトを参考に構築してあります。 項目ごとに主な内容をまとめてあるので、気になるところからお読み頂けます。 …
陳和卿は、東大寺再建のために来日。もたらした技術は寺院建築に多大な影響を与えます。 本記事では専門家の論文やサイトを参考に組み立て、コラム形式で寺院建築の特徴を紹介しています。 和洋建築、大仏様建築。そして禅宗様建築へと変遷していく寺院建築…
大河ドラマ『鎌倉殿の13人』に登場する謎の僧侶・陳和卿。 胡散臭さ満載の腎部として描かれていますが、その実像は東大寺再建に尽力した建築技術者でした。 本記事では専門家の著書などを参考に組み立て、コラム形式で組み立てています。 長めに見える記事で…
地震は今も当時も、人々にとって驚異であった。 建暦3年の地震(天変地妖)の勃発! 『鎌倉殿の13人』もいよいよ佳境。和田合戦の勃発と鎮圧により、ますます北条氏の権勢が強まるかと思えました。 しかし、和田合戦の終結後間も無く地震が発生。時に建暦3(…
横山の苗字の由来は多摩丘陵だと伝わる。画像出展:Wikipedia 『鎌倉殿の13人』を見ていたら、ちょうど和田義盛の挙兵に関するシーンでした。和田合戦では、西相模の御家人たちが義盛に付くか付かないか、という話をしていたと思います。 実際は大江広元らが…
朝比奈義秀。剛力を持つ英雄として知られた。 朝比奈義秀、和田義盛の子として生を受ける 安元元(1176)年、朝比奈(和田)義秀は三浦党の一員である和田義盛の三男として生を受けました。通称は三郎と名乗ります。生母は木曽義仲の愛妾であった巴御前とも…
和田胤長、御家人・和田義長の嫡男として生を受ける 寿永2(1183)年、和田胤長は和田義長の嫡男として生を受けました。平太という通称から、おそらく長男だったと推測されます。 父・義長は三浦党を一時率いた杉本義宗の息子でした。兄(胤長から見て伯父)…
義直が参加した和田合戦。和田一族の華々しいは伝説となった。 和田義直、和田義盛の子として生を受ける 治承元(1177)年、和田義直は和田義盛の四男として生を受けました。通称は四郎と名乗ります。 父・義盛は三浦党において、重要な位置にいた人物です。…
平清盛 平盛綱は平家の末裔って本当? 平盛綱は、平安時代末〜鎌倉時代初期頃に精を受けたと推察されます。 父親らしき人物については、諸説あります。 『尊卑分脈』では、平資盛の子として記載。『系図纂要』ではその曾孫となっていました。 (尊卑分脈)平…
源頼朝は鎌倉殿ではなく武衛と呼ばれていた!? 呼び名の変遷を辿る 伝源頼朝像(ウィキペディアより) 大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていると、時々「官職名」で呼ばれる人が出てきますね。 源頼朝がその代表的存在で、登場当初は史実と同じく「佐殿」と…