日本史好きのブログ

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【平安貴族の給料】エリートからど貧乏まで!超格差社会の禄事情に迫る

 

皇朝十二銭。日本の貨幣経済は、物々交換と共に始まった…

 

平安貴族の中の三つの身分

 

大河ドラマ光る君へ』は、平安時代を舞台としています。当時の貴族たちは、国政に関わる公卿諸大夫、最下層の地下官人)に分かれていました。

作中でも特に話題となっているのが、まひろ(紫式部藤原道長の身分を超えた繋がりです。まひろの父・藤原為時は官位が六位以下の侍なのに対し,藤原道長の父・藤原兼家は三位以上の公卿でした。

2人の暮らしぶりは対照的に描かれており,実際に貴族社会でも厳然とした身分制度が敷かれていたことが伺えます。

そこで気になるのが「平安貴族は,いくら給料をもらっていたのか?」という疑問です。

当記事では,史料や論文をもとに貴族たちの給料を推測。実際にいくらもらっていたのかを考察していきます。

まひろと道長の暮らしがイメージできれば幸いです。それでは,平安貴族たちの給料事情について見ていきましょう。

平安貴族たちの給与体系は、律令で規定されていた。



 

 

 

平安貴族の給料は位階と官職に基づいていた?

 

平安時代の貴族は、位階(階級)と官職(役職)によって貰える給料が大きく異なりました。

当時は貨幣経済が浸透する前の時代であり,給料(禄)は主に現物給付です。支給物資は米、絹、その他の物資で,律令の規定によって支払いが行われていました。

ここでは、位階(階級)と官職(役職)別の給料の違いを表で示します。

 

 

※位階の給料 

 

階級 現代換算
正一位 1億3644万2693円
従一位 1億1402万7333円
正二位 9384万8853円
従二位 8247万3979円
正三位 6149万7813円
従三位 武官: 4950万7341円、文官: 4926万7341円
正四位 1262万1621円
従四位 武官: 1089万2373円、文官: 1074万8373円
正五位 武官: 712万5477円(外位: 692万7477円)、文官: 702万9477円(外位: 683万1477円)
従五位 武官: 536万329円(外位: 516万2329円)、文官: 526万4329円(外位: 506万6329円)
正六位 武官: 93万7920円、文官: 92万3520円
従六位 武官: 90万1920円、文官: 88万7520円
正七位 武官: 81万5320円、文官: 80万1120円
従七位 武官: 77万9320円、文官: 76万5120円
正八位 武官: 74万7120円、文官: 66万720円
従八位 武官: 71万1120円、文官: 62万4720円
大初位 61万7520円
少初位 54万5520円

 

 

※官職の給料

部門 役職 現代換算
太政官 太政大臣 6億5934万9600円
左右大臣 6億5483万7600円
内大臣 3億4176万円
大納言 2億6498万1600円
中納言 1億3188万4800円
三位参議 268万800円
四位参議 111万8400円
大学寮 明経博士 78万2400円
助教・直講 58万6800円
文章博士 78万2400円
明法博士 58万6800円
音博士・書博士・算博士 58万6800円
天文博士・陰陽博士 78万2400円
陰陽寮 暦博士 58万6800円
医博士 78万2400円
典薬寮 医博士 78万2400円
針博士 58万6800円
京職 坊令 39万1200円
大宰府 大宰帥 195万6000円
大宰大弐 117万3600円
大宰少弐 78万2400円
大宰大監・少監・大判事 39万1200円
大工・少判事・大典・防人正 21万2960円
主神・博士 21万2960円
国司 大国守 50万8560円
上国守・大国介 43万320円
中国守・上国介 39万1200円
下国守・大国掾 21万2960円
中国掾・大国目・上国目 23万4720円
中国目・下国目 19万5600円
郡司 大領 117万3600円
少領 78万2400円
主政・主帳 39万1200円
鎮守府 按察使 117万3600円
記事 39万1200円
府掌 39万1200円
軍団 大毅 117万3600円
少毅 78万2400円
毅(雑太団) 39万1200円
主帳(陸奥・出羽) 39万1200円
主帳(雑太団) 19万5600円

 

この表から、社会的地位が高いほど、より豊かな報酬を得ていたことがわかります。

 

 

 

国政をリード!潤沢すぎる公卿の給料

 

平安貴族の中で,特に手厚く給料が支給されたのが公卿です。

公卿は国政の運営を担っていた存在でした。重い責任に付随する形で,支給される禄も膨大なものとなります。

例えば太政官の最高役職である太政大臣をはじめ、左大臣右大臣は億を超える年収を得ていたと考えられます。

 

※提示された位階と官職のみの計算です。

 

例)

 

藤原兼家。のちに摂政、関白にまで上った。



 

 

「貴族」はここから!五位以上の諸大夫

 

次に取り上げるのが、公卿に次ぐ諸大夫(五位以上四位以下)です。彼らは従五位下以上の官位を持つ官人であり、厳密にはここから上が「貴族」と呼ばれる身分となります。

中央の京官では中級官吏の入り口、地方官で言えば「守(県知事クラス)」にあたり、それなりに豊かな生活が約束されていました。

 

例)

 

諸大夫は、貴族への入り口でもあった。



 

貴族ではない?最下層身分・侍(地下官人)の生活

 

 

平安貴族の中でも、最下層な身分が侍(地下官人)です。侍は六位以下の官人のことで、与えられる禄もわずかでした。

京官で言えば中央の下級官吏、地方官で言えば「介」「掾」「目」などに相当しました。

『光る君へ』で、初回からまひろの父・藤原為時が六位で散位(役職なし)でした。位階のみの収入であったため、暮らしむきが困窮した描写がありましたね。

 

例)

 

 

紫式部。通常は紫野に居住し、父・為時が式部丞だったことによるという。

 

 

平安貴族の給料システムについて

 

平安貴族の禄のシステムは、そのまま貴族たちの階級社会を投影していました。

禄、つまり給料は身分が高いほど貰える仕組みです。逆に身分が低ければ、最低限度(それも怪しいですが…)のものしかもらえませんでした。

 

なお、この記事には示していませんが、摂政や関白の給料も相当な高額だったと推測されます。おそらくは従一位相当の給料を得ていたのだろうなと思います。

 

 

宇治の平等院。藤原氏の繁栄を伝える。

 

 

 

 

 

参考サイト・参考文献

 

  • 「位階官人俸禄表」

http://kitabatake.world.coocan.jp/kani-houroku.html#位禄表

 

 

  • 高島正憲「奈良時代における収入格差について」

https://econ-review.ier.hit-u.ac.jp/content/files/2020-71/keizaikenkyu7101063.pdf

 

 

 

 

  • 「税制度は殿ように変わって来たのだろうか?」

https://www.city.kitakyushu.lg.jp/files/000808887.pdf

 

https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/saiku/senwa/journal.asp?record=105